ベンチャーぼんやり考察

ベンチャー界隈の経営、組織について悩んだり考えたりしています。40にして惑ってます。

「手伝う」という言葉は手伝う人、手伝われる人それぞれで認識が違う場合が多い気がする

イクメンパパがママにイライラされるポイント

先日ぼんやりとテレビを見ていたんです。子育て夫婦の特集でイクメンパパに対してママがイライラしてるみたいな内容でした。映像見てる限り結構ちゃんとしたイクメンっぷりでイライラするポイントなんて無さそうだと感じた。

ではママはどこでイライラしたのか。

ご飯中のシーン。赤ちゃんはテーブル後ろの布団でゴロゴロしてて、テーブルにはパパ、ママ、小さな子供の3人がご飯を食べています。赤ちゃんがワーとかウーとか声を出し、泣いてみたり。それに対応するママ。パパの方はと言うと小さな子供の面倒を時折みてますが、基本的にはもくもくと食べてる。

この場面でママはイライラしたらしい。なぜ赤ちゃんが泣いているのに反応しないのか。そこにイライラしたとのこと。 

 

とある会社でも似たような事象が

昨日非常勤某社でとある人がこんなことを言っていた。

”移転祝いで届いたフラワースタンドをAさんが片付けてたんで「手伝いますか」と声かけたんです。Aさんは「ではこのスタンドを片付けといてください」と。スタンドは返却するのでオフィスの端にまとめていたのでスタンドをそこに運びました。その後Aさんがやってきて「名札は抜くんですよ」って指摘されちゃって。”

なんかこの話を聞いて「先日見たテレビのアレと同じだなぁ」って思ったんです。こういった事象はビジネスシーンにおいても結構あるかもしれない。

 

「手伝う」という言葉はそれぞれで認識が違う場合が多い

この二つの事象を考えてみたんですが、「手伝う」という言葉は手伝う人、手伝われる人で認識が違う場合が多いのでは?ということに辿り着いた。

 

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ざっくりと図にしてみたけど、前述の2つの例はこんな感じなのかなと。

手伝う人はあくまで「手伝い」であり当事者意識までは持っていない。「少しでも当事者の役に立てれば」という親切心が原動力であり、当事者のタスクを全て担う(図では代替率という言葉で示してます)とは思ってない場合が多い。

 

一方手伝ってもらう側は完璧にタスクを任せられると思ってしまう場合が多いのではないかと。代替率はそれこそ100%、場合によってはそれ以上の成果を求めてしまう。

 

ここに両者の認識のズレが生じ、お互いに不満を抱く不幸な結果が生まれてしまうのではないかと思った。「手伝う」という言葉の曖昧さ、認識のズレはどうやら存在しそうな気がする。

 

不幸な結果を生まないために

事前の「期待値」の擦り合わせに尽きるとは思うのですが、それ以外の細かいこととしては、

  • 手伝う人は当事者意識を持ち、手伝うからには完璧を目指す
  • 手伝う人はドヤらない
  • 手伝われる人は過度に手伝う人に期待しない
  • 手伝われる人は手伝う人に感謝をする

みたいな感じでしょうか。一番いけないのは、やれもしないのに「手伝う」人だと思っています。何でもかんでも「手伝う」と言わず成果を出せそうなものだけに集中するのがお互いにとって良いんじゃないっすかね。安請け合いはダメ絶対。